●キャラメル観ましたよ。

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TBCのCMのナレーションやってます。
これ→http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/entertainment/movie/ZZ2008112801000728.html










































ナレーションのお仕事で広尾へ。
店という店がなんだかセレブでお洒落で外人多そう。
ここは一つ思い切ってマクドナルドへ。
ささやかにダイエットを心がける細見大輔はポテトとコーラSを注文。
だったら初めから間食しなきゃいいのに。
隣に座った主婦達がいきなり英語で会話、日本人じゃないの?
数年前の苦い記憶が蘇る。
あの英会話学校。
あのウサギの学校。
消えた細見大輔の授業料30万円。
寸でのところで自己破産したあの学校。
英語の勉強はできなかったが、社会勉強はできたと自分に言い聞かせる。
つつがなく収録終了。
来年には放送される筈。
いつもそうなのだが、自分が思っているよりも数十倍感情を抑えた感じで読むと結構いいらしい。
それは自分が舞台役者だからなのかなんなのかは謎だが、確かにオンエアーを聞くと丁度良い案配になっている。
CMを一つ作るだけでもすごく大変なんだなーと実感する。
そしてやりがいを感じる。
引き出しをたくさん用意することはもちろん重要だが、新しい、自分でも気がつかない引き出しを見つけてくれる監督であったり演出家に出会うと、本当に幸せな気持ちになれる。
自分にはまだたくさんの可能性があるのだということを信じたいし、信じることが大事なんだと言い聞かせる。
広尾から恵比寿まで歩く。
やはり小洒落た店が何軒もある。
いい感じのBarとかある。
せっかくの広尾なんで、ワインでも飲みながらチーズを食べようかと思索にふけるも、所詮そんなキャラではないことを十分承知している細見大輔は、まるで運命に導かれるようにラーメン屋に突入する。
ゆず塩ラーメンを食す。
まさに飲んだ後に最高の一杯を、全然飲まずに食べたものだから、物足りなさと己の勇気のなさを痛感するも、最後の一滴まで丁寧に飲み干して店員にビールを奢って店を出る(嘘)。
そんな自分を夢想しながら、道行く人々を何とはなしに眺める。
広尾や恵比寿にいるというだけで、誰もがワインに詳しく、ジャズに詳しく、天井の高いマンションに住んでるのであろうなと勝手な妄想を膨らませる。
飼ってる猫にいたっては、みんな洋猫、毛並みとかすごく綺麗、肛門も。
うちの猫にいたっては、ほぼ雑種、毛とか部屋に落ちまくり、うんこも落ちまくり、すすにいたっては太りすぎて肛門舐められない、おかげで綺麗好きのタビに追いかけられる、走って逃げるからウンコ落ちまくり、タビ怒りまくり。
なんだこの無駄な循環は、この輪廻は、グルグルグルグル、グルグルグルグル、ウンコグルグル。
そんな小学生でも書かないような文章を平気でblogに載せるあたり、細見大輔の程度の低さを物語っているようであるが、先週末、ようやく神戸に出向くことができた。
時間の関係上、見事なまでに劇場をスルーし、あれやこれやと。
よもや芝居以外で神戸に来るとは思わなんだ。
よもやこんな事で神戸に来るとは思わなんだ。
夜、大学時代の劇研のメンバーと久しぶりの再会を果たす。
仕事の関係でそんなに大勢は集まれなかったが、それでも子供も入れて8人とたぶん1人、たいしたもんだ。10年ぶり以上の再会か。
それぞれが同じだけ歳をとるわけだから、もちろん全体的な印象としては大学生の頃のようにはいかずとも、何となく変わらないみんなと会えた気がして嬉しくなる。
細見大輔は東京にいるためなかなか大阪の友達と会うことができない。
でも、今思えば其れを言い訳にしてたんだなぁと思う。
会おうと思えば会えた筈で、会おうとしなかったんだと思う。
いつでも会えるやっていう思いが、いつの間にかこんなにも長い時間を経過させて、もう2度と会えない人までできてしまった。
いかんなー、と思う。
いかんかったなー、と思う。
もう10年以上前の話だが、細見大輔は大学時代に1本だけ戯曲を書いたことがあって、それは「ネクローゼ」というなんともおどろおどろしいタイトルなのだが、それを観た後輩が一言、「なんか気持ち悪くなりました」という、ジェットコースターに乗った後の時と寸分違わぬ感想をもらったがために、筆がのる前に筆を折ってしまう事となった曰わく付きの戯曲なのだが、その内容が『日々の生活に疲れた中年が、大学時代の仲間達と再会する』という内容である。
ありがち、ありがち。
んで、その昔の仲間には、好きだった女の子がいたり、自分のことを好きでいてくれた子がいたり、色々いるんだけど、話の中心はいつの間にか自ら命を絶った後藤って奴の話になったりして、結局なんだかんだで祭りの後みたいな寂しさが漂う、気品溢れる作品に仕上がってます(嘘)。
「永遠なものなんてありはしない」
って悲嘆して彼は死んじゃうんだけど、その頃は自分で書いてても正直あんまり実感なかった。
ていうか、何甘いこと言ってるのって思ってた。そんなの当たり前じゃん。
でも今になって、彼につきまとっていたものはなんだったんだろうなぁと考えます。
ひょっとしたら、祭りが終わった事で彼の中の何かがぷつんと途切れちゃったのかなぁって。
だから後藤は死んだけど、この物語の主人公は、「また祭りを始めればいい」って思えたのかなぁ。
まあ、それでも彼は、最後まで「もし」とか「たら」とか「れば」とか言ってウジウジしてる辺りが細見大輔らしいと言えばらしいのだけれども。
んで、今の話に戻るわけだ。
みんなと久しぶりに集まって思った。
もちろんみんな変わらずにいた。
でも、やっぱりそれでも確実に何かは変わっているのだろうし、もう確実に変わってしまったこともあるわけだし、あの時ああしてればとかもっと連絡しておけばとか色んな事を思うわけだ。
でも、それはもう過去と戦ったって仕方がないし、今ここでこうしてる俺たちが、ぱーっとどんちゃん騒がなきゃいかんよなーって思ったわけだ。
とまあ色々考えて書いているわけだが、今現在も色んな事がグルグルグルグル、グルグルグルグルしてしまっていて、なんだか時間が経つごとに自分の中でその支配率が上がってしまってるわけだけど、これから細見大輔は一生この事を考え続けるのだろうなぁと漠然と感じておりますです。もちろん、四六時中ってことではないけどね。
正解がどうとかそういうことでなくて、生きていくって何だろうって、前よりももうちょっとだけ真剣に考えようと思います。
そんなわけでして、
最後に一言、
ゴホン、
「ほ~ら、祭りが始まったよ~ん」
こーん


























すっかり休養モードかと思いきや、怒濤の観劇三昧であったり謎の湿疹が発現したり猫が血便出したり友達の子供が可愛かったり見慣れぬものが届いたかと思ったらうちのチラシでびっくりだしおまけにタイトルがよくわからんくてこれはチラシとしてどうなんだろうと思わず苦言を呈してみたり悲喜交々、阿鼻叫喚の毎日であるが、今日も今日とてスカイフィッシュを30匹は食べるという自然破壊にも近い行為をかってでた34歳である。
専用ブラウザをSleipnir からとうとうGoogleに鞍替えしてしまった。その挙動たるや最高最速、昔F1に乗っていた頃を思い出して、赤飯を炊いた、3合。「何かお祝いですか?」と近所の亀仙人が尋ねてきたので、「ええ、これは国政選挙への未練を見事に断ち切ったあの知事へのせめてもの手向けですよ」とうそぶいておいた。「そうですか、それは良かった」と亀仙人は甲羅を3回叩くと爆発して消えた。ボム特有の自爆スキルだ。あれで何度もやられた。装備品以外はみんな持っていかれた、泣いた。
いや、正確には泣けずにいるのだ。キン肉マンのマスクの下は、さぞかし汗でふやけておるだろうと心配する程に、未だ泣けずにいるのだ。
そんな僕の体たらくを見てネプチューンマンは僕に囁く。
「Youが泣けないのはYouが完璧超人(ぱーふぇくとちょうじん)の素質があるからだYo」
軽く僕にラリアットを決める彼をいなして僕は言う。
「いや違う、僕が泣けないのはそれが何に対する涙なのか今の僕にはわからないからだ。だってそうだろう?過去とは既に失われた時であり、未来とはまだ見ぬ希望と絶望のシェイクだ。現実は常に移ろいゆくものであり、今この瞬間が既に過去となる。つまり僕達は、生きながらにして常に何かを損なった存在なんだ。見ろよこの僕の手を。どんどん砂がこぼれ落ちる。どれだけ固く握りしめてもするりするりと抜け落ちていく。仕方が無いことなんだ。彼女が僕達の前から突然消えたことだって、今の僕には既に過去の事であり、もうどうすることもできないんだ。あの時こうしておけばよかった、あの時こう言ってやればよかった。そんこと、もう無意味じゃないか。もちろん後悔はする。でもそれは、自分自身への慰めにすぎない。そもそもこんな事になるまで、僕は彼女と偶に会う程度の関係でしかなかったじゃないか。昔あれ程一緒にいたのに、今じゃ年に数回、会うか会わないかだ。今更僕にどうしろって言うんだ。いいか、もう彼女はいないんだ。その事をまず認識する所から始めなければいけないんだ」
「でも君は、彼女の為に泣きたいと思っている」
そうテリーマンが答えた。
彼はかわいい子犬を抱きしめている。
「その犬は、超人オリンピックで君が助けた犬だね」
僕がそう尋ねると、テリーマンはふっと頬を緩めて小さく頷いた。
「僕はこの犬を助けた事で超人オリンピックの決勝に残れなかった事に何の悔いもない。もちろん、ファイターとしては最悪だ。でも、結果、伝説になった、読者の間でね」
「それがどうした、自慢か」
僕はすかさず突っ込んだ。
オイオイ、とテリーマンはアメリカ人っぽいリアクションをすると、
「そう自慢だ。なにせ今年は29周年、まさにキン肉マンイヤーだからね。しかしそんな事はいい、もうこれ以上このネタを引っ張るのも疲れた。まったく、君は思考が混乱してくると、そうしてわざと関係のない事柄で話を破綻させようとする。君が本当に書きたいこと、残したい思いを、何故にそこまで隠蔽するのだ」
「正義超人の君にはわからないことだよ、それは」
僕は傘の先でドンドンと床を付いた。その時の僕は傘で人を殺そうとする変な人だ。
「馬鹿!いや、馬以下!」
テリーマンの攻撃→スピニング・トーホールド
「ぐはっ」
僕のマスクが剥がされた、なぜか。
「この両肩の☆マークは、ドロンパを意識していると知ってのことか!」
「知るか!」
そこで場面は突如変わる。
団地だ。何棟も何棟もあって、まるで竹の子の異常発生だ。
灰色の団地、薄暗い団地。
僕の中に眠る昔からのイメージ、死のイメージ。
本当はそれは団地ではなくて、病院だ。無機質な、人は誰もいない。
小さい頃、僕は幾度となく祖父の病室に連れて行かれた。祖父は膵臓ガンだった。当時の僕はそんな理由も知らずに、何度か祖父の元へ連れて行かれた。
その頃の記憶はほとんど残っていない。祖父の顔すら覚えていない。
ただ何となく、死期が近づいた人特有の気配というか何かしらの空気を子供心に感じ取っていたんだと思う。
その薄ぼけた病院での記憶と、当時住んでいた団地の風景が、僕の中で死のイメージとして作り上げられてしまったのだろう。
「考えろ、わからないなら考えろ、知らないなら知ろうとしろ、素人しろ、史郎と四郎、伊東四朗。お前の目玉はどこにある。失った人、去りゆく人、お前の両手からこぼれ落ちた全ての人達、残されたお前がするべきこと、生きろ、生きろ、しぶとく、粘り強く、足掻いて足掻いて、這いつくばってでも、齧り付いてでも、生きろ、生きろ、
生きろ。





大学時代、僕は劇研究部、所謂「劇研」に所属していました。
劇研の名前は「爆劇☆団」、なんとも大層な名前です。
今はもう、この名前はありません。
そして、命名された方も、もういません。
卒業公演が終わって、打ち上げの最中、僕は一人打ち上げ会場(といっても稽古場)を抜け出して、すぐ隣にある劇場の舞台の上にいました。そこで何をしていたのかはよく覚えていません。踊ってたのか、台詞でもかえしていたのか。まあ、浸っていたんだと思います。この頃はまだ、役者として生きていくのか、それとも就職するのか決めかねていた頃だったから。
そんな僕の姿をこっそりと眺めていた同期の彼女は言いました。
「あんた、かっこえーなー」
それに僕は何と返事をしたかは覚えていません。
ただそれだけ、彼女のその言葉だけ覚えていました。
いや、正確には、長い大学生活の中でもなぜか印象的な出来事だったのかもしれません。
その時の彼女の表情とか、声のトーンとか、昨日の事のように思い出せます。
「あんた、かっこえーなー」
今日、また一つの舞台が終わったよ。
少しずつ歳をとって、色んな舞台を経て、それで僕は、ちゃんと出来てるかな。
ちゃんとかっこよく立てとーやろか。
頑張るわ、明日からも、こっちで。
せやからそっちで、ゆっくりおやすみ。
ほなな。
ありがとな。
2008年11月10日

私信

未だに喉が痛いわけで、かれこれ1週間ぐらいたつのだが依然治る気配もなく、生まれて初めて立ちくらみを経験し、なんだか本当にそろそろ夏から続く何かの糸が確実に切れる様相を呈してきましたが、「山~」が終われば少し休憩できるのでそこまでは気合い。
劇団の先輩である坂口さんが出演する「弾丸MAMAER」を拝見。初日とは思えないほどの完成度に感服。横の席には昨日に引き続き久保田が座り、なんだか気恥ずかしい気分。戦後の日本を描いた作品だが、きっとその時代を生きた方々には色々と思うモノがあるのかもしれぬ。しかしそんな作家は僕より若いらしいので、これまた感服つかまつる。残念ながら僕は勉強不足の為、突っ込んだ見方ができなかった。あらかじめ時代背景がわかっているといいかもしれぬ。とはいえ、演劇にも本当に色々な種類があるなーとやはり感服したところでチョビの排便に本日2度目の立ちくらみ。外国の猫は特に便がくさい気がするのは気のせいだろうか。くさい、ああ、くさい。
今日はなんとなく猫たちにご褒美をあげようと思い、久しぶりに猫缶大盤振る舞い。
しかし、最初の食いつきだけよくて、後は結局チョビがほとんど平らげるという始末。
猫缶を食べた日の便はドライフードの時よりも非常にくさいので、明日は地獄の予感。というか、すでに今すごくくさいよ、くさいよ、くさいよ。
どうしても保護してやりたい子猫がいて、子猫といってももうそんなに小さくはないのだけれど、この冬が乗り越えられるか心配になってきた。なんとか餌付けして確保したいところだが、あとちょっとのところで「ふぎゃー」と攻撃されてしまう。それでも頭とか撫でさせてくれるようになっただけでも一歩前進か。
昔からの友達には「どうしてそんなに猫好きになったの?」とよく聞かれるのだが、その答えは「わからん」である。
とにかく今は無条件である。まあ、自分でも不思議ではあるが。
金持ちになったら猫ランドを作ろうと思う。なんて。
あほな写真一杯のせてますけど、今日はいつも劇団の照明でお世話になっている黒尾さん、あんり、久保田が観に来てくれました。
んで、終演後劇場の近くで結局4時間ぐらい楽しく飲んでいました、すげー。
黒尾さんは大小問わずとにかくたくさんの芝居を観ていらっしゃるので、話を聞いているだけでとても楽しいです。今回のお芝居も、札幌公演と神戸公演の合間をぬっていらっしゃいました(他にもまだたくさんお芝居を観るそうです、すげー)。
そういえば、黒尾さんを中心とした「オランダの会」というのを不定期でやっているのですが(あんまりやってないけど)、これは黒尾さんがオランダに留学した時の話を聞こうという趣旨で発足された会です。
なんですけど、未だかつてオランダの話を聞いたことはありません。そしておそらく、今後も聞くことはありません。なぜなら、オランダの話を聞いたら負けになるからです。だから聞きません、ずっと、ええ。意味不明。
とにかく楽しい一時を過ごすことができました、すげー。
んでそこで帰れば良かったんですけど、結局そのまま僕とあんりと久保田の3人でゲーセンにくりだして、アホみたいに大騒ぎして、ブログに載せるのも躊躇われるような数多のプリクラを撮り、とどめにラーメン食って帰りました、すげー。
あー楽しかった。
こんなアホみたいな先輩に付き合ってくれてありがとう。
おかげでリフレッシュできました。笑い死にしそうだったけど。
そんなわけで、この調子で今後ともよろしく。
うふうふふ。










例えば、あなたが街でばったり知人にあったとする。
知人の横には見知らぬ女性がいて、あなたがその女性にちらりと目をやると
「あ、これ、うちの家内です」
と紹介される。
その瞬間から彼の横の女性は彼の妻としてあなたの脳内にインプットされる。
もちろん、その女性が本当に彼の妻であるかどうかということを、この時点ではあなたには判断すべき材料もなければ、「じゃあ、免許証か保険証でも見せてもらえますか?」なんて失礼なことを聞くこともできない、一社会人として。
舞台を観るとする。男と女、二人の役者が登場する。男が、
「あ、これ、うちの家内です」
という台詞を言ったとする。
その瞬間、この舞台上における彼らのポジションは決定される。
しかししばらく芝居を観ていると、あなたはどうにも腑に落ちなくなってくる。役者の演技のせいなのか戯曲のせいなのか今日の体調なのかl。
あなたは考える。どうして彼らは夫婦に見えないのだろう。
おかしなものである。
ここ最近舞台に立っていると、「真実とは何か?現実とは何か?」と考えてしまう。
戯曲の内容のせいかもしれないが、本当に、その境目はどこにあるのだろうかと考える。
舞台と客席の間なのか、それとも劇場とその外なのか、それとも、僕の肉体とそれ以外の全てなのか。
そんな小難しいことをウダウダ考えているうちに、グレンラガン(知らない人は調べてね)を見て「あー、荒唐無稽でも面白ければいいかー」という単純な思考を展開する自分がいるのもまた事実である。
この話と、ここから先の話は特に何の関連性もない。ただ漠然と思ったことを書き記しただけである。
彼の事件は僕にとってもかなりショックであった。
多くの人がそうであるように、僕の青春の一時期もまた、彼の音楽と共にあったような気もする。
本当に愛してやまないのなら、もう一度音楽に立ち向かって欲しいと思う。
100万枚売れる音楽ではなく、100万年先に届く音楽を目指して。


冬場、乾燥した唇が突発的なアクシデントでひび割れ血が噴き出すかのごとく、私の喉は今異常に痛い。比喩にもならない稚拙な例えで申し訳ないところだが、これは風邪だろうか、それとも、毎日毎日全身に浴びるスモークの影響であろうか。
芝居の内容のせいなのか、それとも劇場のせいなのか、今回のお芝居は特に関係者の来訪が多い。夏夢の時もそうだったが、あら、こんな方まで観にいらっしゃった、なんてことザラである(全員の名前はもちろん書けない)。今年もまたアラカルトが楽しみな白井晃さんや、夏夢でお世話になった翻訳の松岡先生、みなさん面白い面白いと満足していらっしゃった。ただ、「でも、どちらかというと観る人を選ぶ作品だね」ともおっしゃっていた。松岡先生にいたっては、面白すぎて2回も観て下さっている。ありがたい。基本的に「演劇論」を語っているようなものだから、こっち関係の人の方が楽しめるのかもしれん。
明日は2度目の休演日、そして残り後5ステージとなった。早いモノである。「嵐~」から休みなく突入したので、なんとなくこれでやっと夏が終わるなーなんて、11月の空の下しみじみと思うのだろうか。いや、さすがにそれはない、だってもう寒いから。寒いよすごく、寒すぎる。おかげで猫共は皆風邪をひいた。くしゅんくしゅんいってる。かわいそうに。そろそろホットカーペットを出してやるかなんて思ってるが、電気代が1万円ぐらい高くなるので控えめに。電気は大切に。
今年はあと芝居1本残すのみ。来年は何本ぐらいできるかなー。4本ぐらいやりたいなー。どうかなー。面白いからやれるだけやってみる?どうですか、佐々木さん。うへへ。
身の引き締まるような寒さの中、そういえばあの灯台の先に追われた親子はどうなったんだろうと、数年前に見た夢の続きを気にしてみたりしなかったりラジパンダリ。




ここ最近、5匹の猫に代わる代わる甘えてこられるという、猫アレルギー所有の私にとってはなんとも耐え難い、しかしにゃんとも微笑ましい光景が繰り広げられている我が家だが、ことチョビに関して言えば、その昔天敵の様な扱われ方をしていたのが今や、こうして文章を打っている間にも、私の膝の上で右へ左への大騒ぎである。挙げ句の果てには、顔をそこかしこに擦り付けてくるのだ。なんでだ、髭が生えてるからか?髭だから同族扱いか?それともただの寂しがりやか?おかげで、今私の眼前には猫の毛しか見えない、すなわちこれは歴としたブラインドタッチというわけであり、もはや驚異的である。
ここ最近、やたらと破壊力抜群な夢を立て続けに見るのだが、バイクのエンジンを入れようとしたらそのタンクから黄金に輝く虫が私を無視ししてわんさか這い出てきたり、某所に隕石が落ちて「だから言ったじゃないカー」と誰かが叫んでいたり、某所に飛行機が落ちたり、ヘリコプターが落ちたりと、ほぼ3日間続けて何かが落ち続けているこの私の膝の上で、なおもチョビがやや爪を立ててグルグル喉を鳴らしながら蠢いている姿はもはや驚異的である。
ここ最近、やたらと文字が氾濫している気がして、それでなくても滞りがちな日記の更新が、最早「なんか気持ち悪い」という不確かな理由だけでさらに筆を重くしている事実がある上で、チョビがとうとう爪を立てて我が顔を引っかき回そうという、日本古来の漫画にありがちな展開、さらには、我が手に爪を立てて、かわりにキーボードをうとじょいえjふぉいp;いおfぎお;ふぇj、失礼、キーボードを打つのを邪魔するお前の企みを小論文にして東大の推薦入学でも受けろ、それはもはや驚異的である。
ここ最近、新しい猫のトイレを4個購入したのだが、今まで数多の試行錯誤の末のトイレであったので、さすがに効果抜群であり、その金のかかり方も抜群であるのだが、おかげで少しだけ我が家が快適になったのだが、猫の快便の快進撃は相変わらず続くものであり、なぜか一匹が排便を始めると、私も、私も、と入れ替わり立ち替わり排便をするものだから、まるで排便祭りの様相を呈する。そんな数多のトイレがあるのは我が部屋であり、我が愛すべきぱーそなるこんぴゅーたーの設置されている部屋なのである。こうして文字を打ち続ける間もなお排便は続き、私は文明の利器の恩恵に授かりながらも、原始的な香りに鼻腔が崩壊寸前である、それはもはや驚異的である。
ここ最近、5匹目の猫であり使徒であるムニャの興味の対象が、なぜか私の足になった。油断するとちょいちょい爪で引っかかれてしまう。虫か、俺の足は虫なのか。確かに全国的に見ても多少なりとも魅力的な右足左足であることは泣く泣く認める覚悟と度胸はあるが、お前に虫扱いされる覚えはない。私はあなたの玩具じゃないのよ。そんな私であるが、只今新国立劇場にて絶賛上演中である、山を。と、ここまで書いたところで足の親指からそこはかとなく出血してもなおこの文章を打ち続ける私、それはもはや驚異的というより単なる阿呆であるな。







もう終わってたね・・・




