1998年11月16日


昨日、「人間の痛いという感覚」についての番組を見た。

人間にとってこの「痛覚」というものは、大変重要なものである。
足にものがぶつかった時、人間は脊椎反射で足をかばう行動にでる。
これは「痛覚」のおかげなのである。「痛覚」は、人間の体を守るためにも必要な機能なのである。

が、ある状況下において、人はまったく痛みを感じなくなることがあるそうだ。

こんな例がある。ある登山者は足を滑らせて深さ50メートルもあるクレバスに落下した。
しばらくして気づいてみると、足首が奇妙な方向に曲がっていたという。
骨折したのだ。が、不思議と痛みは感じなかった。
それから5日間発見されるまではなんともなかった足の痛みが、いざ救助された途端痛み出したという。

こんな例もある。ある人は、生まれつき「痛覚」というものがなく、
自分はスーパーマンだと思い何度も屋根から落ちては骨折を繰り返し、
しまいには歩けなくなったという。
なんと、足だけで12回も骨折を繰り返したそうだ。
もちろん、これは特別な例で、先ほどの登山者は正常な方だ。

同じような経験が僕にもある。

大学3年生の春、劇団の公演中に交通事故に遭い、
足首の脂肪がえぐりとられ何針も縫う大怪我をした。
が、不思議と痛みを感じることはなく、無事公演を終えることができたのだ。

その間、傷口は縫えないものだから、
血を抜くためのチューブが入ったままの状態にも関わらずだ。

が、公演が終わったその夜、突然痛み出したのだ。

それまではりつめていたものが一気に開放され、その途端痛みを感じたのだろう。
おかげでそれから1ヶ月近くまともに歩くこともできず、大学も休まざるをえなかった。

痛みを感じないのをいいことに、無理をした結果がこれである。

人間にとって、「痛覚」とは大変重要であると思う。
自分自身を守るためにも。
しかしそれは、決して身体的なものだけではないと思う。
心もまた、「痛み」を感じることが出来なければ、決して人は生きていくことはできないだろう。

心の痛みのわからない人間が、他人はおろか、自分自身を守れるはずは無いのだから。


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