1998年12月5


今日は涛子と裕司が久しぶりに再会するシーンだった。
僕は、この撮影に入ってからどうも水難にあう運命らしく、このシーンもまた水に濡れまくった。
まいった。なぜいつもこうなのか。どんなシーンになるのかは、見てのお楽しみです。
放送は2月入ってからかな?

で、撮影が終わった後、涛子さんと倉木さん(くらっきー)とプロデューサーの峰島さんと、
そしてめずらしく渚と一緒に「もつ鍋屋」に行った。

渚はいつも、朝が早かったり、なんやかんやと忙しく、一緒に飯を食ったことがなかったのだ。
で、「裕司のおごりならいってもいいよ」ということだったので、
「よっしゃ、おっちゃんがおごったろ」と、
4つしか違わないおっちゃんの僕がおごるということで、行くことになった。

色んな話をしたのだが、なかでもねーさんの
「なぜ新感線にはいってしまったのか」という話がとてもおもしろかった。
個人的なこと(といってもそんなにたいした話ではない)なので、あまり詳しくはかかないが、

「きつねにつままれたような一日」

が、運命の境目だったらしい。
あの日がなければ、自分は今ここにいなかっただろうと。
つままれてよかったね。

僕は、性格上「運命」というものは信じない性質だった。
こうなるのはきっと、昔から決まっていたんだな〜的発想は好きじゃなかった 。

常に自分で考え、自分で行動したことの結果が、目の前の道を切り開いているのだと思っていた。
どんな状況にもまわりに流されないこと、それが大切だと思っていた。

でも、最近少し、考えが変わってきた。
どうにもならないようなことに直面したとき、自分自身の力ではない、
目に見えない第三者の力(人の力だとは限らない)で開ける道、
それが運命と呼ぶのかもしれないと。

辛い時、悲しい時、せいいっぱいつっぱるだけが生き方じゃない。
時にはまわりの流れに身をまかすのもいいのかもしれない。
自分の力だけでは見つからなかった何かが、みつかるかもしれないからだ。
それとも、自分の力だと思っていたことが、実は誰かの、
何かの力によるものだったのかと、わかるかもしれない。

で、結局、渚に本当におごらされたよ。なんで?


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