1999年1月10

 

携帯電話がえらく普及しておりますな。
ま、今更なにかいとるんじゃ!と思うかもしれませんが、本当にみんな持っている。
で、電車とかで、一人でず〜っと喋ってる人とかいますわな。
あんな姿を見ていると、本当に人は一人じゃなくなっているのね、と思うわけです。
どんな時も、誰かと繋がっている。どこにいても、どんな時間でも。
なんか、考えてみたら少し怖い気もします。

コミュニケーション、という言葉が最近多用されています。
あのDreamcastも、キャッチコピーに「コミュニケーション」という言葉を使っています。
ネットを通じて、たくさんの人間とお友達になろう!
で、いったいなんのマシーンなの?と、少し疑問にも思うんですが・・・・。
セガはまた中途半端なことして失敗するのかな・・・なんかそんな悪い予感も・・・。

ゲームボーイも子供達の間では、一種のコミュニケーションツールとして使われているようです。
あの「ポケモン」だって、いえばコミュニケーションツールなわけです。
「俺は何匹つかまえた」とか、「このポケンモん、交換してくれよ」なんて具合に。

ポケモンが子供達の間で莫大な人気を得た背景には、
実は子供たちのコミュニケーション不足があるからじゃないかと思う方もいるようです。

人とどう接したらいいのかわからない。
距離のとりかたがわからない。

そんな人が世の中に増えているのかもしれません。
純粋な人間と人間の対話ではなく、ある媒体を介してのコミュニケーション。
ネットが普及し始めた頃、革新的な情報伝達の早さが話題になるとともに、
ネットに逃げ込む人々の話題もまた尽きませんでした。

見知らぬ世界と繋がることで、自分がなんだか大きくなった気がする。
でもそれは、所詮コンピューターの中での世界なのです。
大切なことは、いつの世にも「自分の目で見て、感じること」なのです。

今日の話は、なにもネットを否定しているわけでもなければ、
ゲームボーイを買うな、と言ってるのでもありません。
僕が言いたいのは、それぞれの時代にあったコミュニケーションの
とり方があって当然だということなのです。
一世代前の人間には理解できないかもしれませんが。

ただ、忘れてはならないのは、そこから何を感じ、何を思い、何を考えるか、なのです。

ポケモンを通じてコミュニケーションを計った子供達が、そこからどんな遊びをうむのか。
ネットの外に出たときに、何を感じることができるのか。

コミュニケーションの道具が増えることで、よりいっそう考えなければならないことが増えるのです。


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