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その時僕は、コンビニでバイト中でした。
レジの中で「カラアゲ君」を作っていると、突然、地面が落ちたような感覚に襲われました。
「え?」と思った瞬間、今度は激しく横に揺さぶられ、立っていられなくなりました。
「カラアゲ君」をあげる油は外に飛び出すわ、店のものは棚から崩れ落ちるわ 、
停電になってレジは落ちるわ、何がなんだかわからない状態になりました。
本当に、「誰のいたずらや」としか思えないほど、突然の出来事で、
しばらくしてやっと「地震やったんや・・・」と気づきました。
あわてて東京の実家に電話してみると、
「なんやこんな朝ハヨウに。地震?今テレビ見るで。・・・・ああ、震度4やって。大丈夫か?」
と、父親が寝ぼけながら言いました。
兵庫にすんでいる祖父にも電話をしたところ、かろうじて電話は繋がり、
無事を確認することができました 。
(後から聞いたのですが、実はタンスが倒れてきて、大変なことになっていたらしいです)。
店長も神戸に住んでいたので、どうすれば指示を仰ごうとすると、 電話は繋がらず、
「これはちょっとまずいか」
なんて思い始めました。
でも、しばらくすると、付近の住民も集まりだし、
わりとみんな
「いや〜、怖かったね〜」
ぐらいのノリだったので、
「まあ、人生1度ぐらい、こんなこともあるよな〜」と思い、店内をかたづけて、
しばらくすると停電も直ったので、その後はなんとかバイトを続け、家に帰ろうとしました。
が、どうも様子がおかしい。
道路にはところどころ亀裂が走っており、駅のほうからもたくさん人が歩いてくる。
「電車が走ってない・・・」
仕方がないので、バイト先の人に車で送ってもらいました。
家に帰ってみると、扉を開けた瞬間水が流れ出しました。
「え???」
と思っていると、下の家の人が来て、
「うちの部屋が水浸しなんです」
と、怒られました。
「そんなこと言われても・・・なんでなんや・・??」
と、困惑しながら原因を調べると、電気温水器のタンクが倒れていました。
少し不安になってきたので、親しい友人の家に電話したりしたのですが、
全然繋がらない。大学が神戸にあったこともあり、
友達も神戸の人間が多かったんですが、本当に繋がらない。
どんどん不安になって、テレビをつけてみると、
そこには信じられない光景が映し出されていました。
「阪神高速が落ちてる・・・」
そうこうしているうちに、
本当に何かの間違いかと思うぐらい被災して亡くなった方の人数が増えてゆく・・。
そう、これこそが阪神・淡路大震災だったのです。
大学はしばらく休校になり、僕は毎晩テレビに映し出される「亡くなった方々の名前」を、
ボーっと眺めていました。朝刊に友人の名前が載っていることもありました。
コンビニの商品は飛ぶように売れ、
みんな「絶対もう一度地震が来る」という恐怖にしばらく怯えていました。
あれからもう、4年たちました。
今ではもう、神戸もすっかり(とはいいませんが)震災前の活気を取り戻し、
人々の記憶の中から「震災」という言葉が薄れている気がします。
かくいう僕もそうです。まるで、遠い昔の出来事のような気もします。
でも現実には、未だに震災の影響を受け、苦しんでいる方々もいるのです。
街を変え、人を変えたあの出来事。
忘れてはいけない。
決して忘れてはいけないのです。
震災で亡くなったたくさんの方々のご冥福をお祈りいたします。
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