1999年2月4日

 

今日はおそらく、「やんちゃくれ」の撮影の中で、もっとも忘れられない日でした。
いや、僕が今まで芝居をやってきた中でも、一番忘れられない日になる気がします。

今日は、裕司にとって、もっとも大切なシーンの撮影でした。
きっと、このシーンのために150回やってきたんだろうな、という気がしました。
きっと見ればすぐわかると思います。

前日まで、正確には当日の朝まで、悩んでいました。
それは、そのシーンのリハに納得いかなかったからです。
「裕司はこんなことしないだろう」というところで、ずっと悩んでいました。
涛子さんのことも考えました。どうして裕司は、こんなに好きでいられるんだろう。
裕司にとって、涛子はいったいなんなんだろう。

撮影が始まった頃は、なにもわからない状態で、監督の指示どおりにやってきたんですが 、
最近納得のいかないことが多くなってきて、どうにもこのシーンの、この場面だけは、
ずっと本当に納得いかなくて、結局他の関係ある人に相談して、変えてしまいました。

自分でも納得いく演技プランを考えることができ、僕は悩みも消し飛んだ状態でスタジオに入ったのです。

でも、何回もカメリハを繰り返すのですが、「裕司は気持ちが全然足りない」と言われ続けました。
どうすればいいのかわかりませんでした。
親父さん(柄本さん)も、リハの間、ずっとニヤニヤしていました。
きっと僕の未熟さを笑っているんだろうな、と勝手に思っていました。

そして1回目の本番が終わりました。終わった後、親父さんは、僕の腕をがっしりつかみ、

「最高だった、あれは本当に素晴らしかった」

と言ってくれたのです。

これが、今日で撮りきりだった柄本さんの、僕への忘れられない言葉でした。
一生忘れられない言葉でした。

台本を読んだ時点では、想像もつかないシーンになっていました。

水嶋家を感じました。

そこにいる裕司を感じました。

そして、ずっと傍にいてくれた、涛子さんを感じました。

ナミダが止まりませんでした。

でも、この1回目の撮りは、主に涛子さんねらいだったので、僕は全然うつっていませんでした。
僕方向の芝居は、別撮りだったのです。

僕の死に物狂いでもがいた芝居はおろか、
それに一生懸命に答えてくれた柄本さんの芝居も、本番では使われませんでした。

チェックが終わり、柄本さんは

「本当に惜しいよ。なんで裕司を撮ってやらなかったんだろう」

と言いました。

その後、同じ事を僕方向にカメラを置いて繰り返したのですが、やはり1回目のようにはいきませんでした。

1回目は頭からシーンを通してやったんですが、別撮りは細切れです。
シーンの途中のセリフから、とかでした。

それでも柄本さんは、芝居を変えてくれてまで、僕の心を動かそうとしてくれました。

でも僕は、抜け殻のようでした。

全てが撮り終わって、柄本さんは僕に言いました。

「本当に心が動いたとき、というのは、実はなんにもないんだよ。
何にも考えてないんだよ。計算も何もない。
でも、それと同じ作業をしなきゃいけないのが役者なんだ。
だから、普通の人間には、とてもできるわけないんだよ。
変な商売なんだ。あの時のような芝居は、2度もできない。
だったらどうするか?それは、自分の中を探っていくんだ。
そして、心が動く動機を探していくんだよ。
そうやって、心を動かすしかないんだよ。」

この日、僕ははじめて映像と舞台の違いがはっきりわかりました。
映像の怖さを知りました。

映像は「瞬発力」、舞台は「持続力」だと。

1回目で全てを吐き出してしまった僕は、映像に向いてないんじゃないかと思いました。

悔しかった。

情けなかった。

柄本さんの言葉が、痛いほど耳の奥で繰り返されました。

どうして自分はできないんだろう。どうして自分にはできなかったんだろう。

本当に、僕はとんでもない世界に足を踏み入れてしまったんだ。

「こんな経験を繰り返して、どんどん成長していくのよ」

色んな人に肩を叩かれ、兄貴にも励まされました。

でも、悔しかった。

自分の未熟さが。

いままで自分が積み上げてきたと思っていたものは、完全に崩れ去りました。

このシーンを撮るのにかかった3時間の間、僕は、本当に色々なことを経験した気がします。

 

柄本さん、半年間お疲れ様でした。

この次、もしあなたと会えることがあったら、僕はいまよりずっと、あなたに近づいていたい。

本当に、あなたに会えて良かったと思っています。


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