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だんだん〜だだんだだん〜ん
どぅびどぅば〜
あは〜
ふんふん
ふ
ふんふん
はは〜〜〜〜〜〜〜〜
とぅとぅるるるる〜
へい!
へい!
ばんばんばばんばばん
ばばん
ばば〜〜〜〜〜〜〜
どぅ〜いや〜
あは〜
ふふふ
ふは〜
はぁ はぁ はぁ
はぁ・・・・・・・・
・・・・・・・・
だんだ
だんだ
どぅ
どぅ
はあ〜
あんあんああ〜
らるら〜
るりるななのら〜
ぽこ
ぴこ
ぷぷ〜
ばぶでしゅ〜
(日本語訳)
今日は更新してる時間がないので、手短に。
手短にとはいうものの、いつも長くなってしまうのが、悲しい人間の性が。
僕という生き物は、なぜにこのように毎日毎日日記を書きつづけているのであろうか。
ふと、疑問に思うとともに、この偉業を成し遂げている自分に、
酔いしれているのも事実だ。
が、これは決してナルシストであるのではない。
ナルシストは、役者にとって少なからず必要な要素であるのだが、
僕には若干欠けているように思われる。
確かに、自ら撮影した写真などを、惜しげも無く披露している点では、
ナルシストなのかもしれないが、
どちらかと「ウケ」を狙った写真のほうが多いように感じられる。
なぜなら、僕は劇団の人間でも一番写真チェックが甘い男だと
言われているからだ。誰が厳しいかは言わずもがな。
それはいい。そんなことはいいのだ。
この偉大なる大地の上に立ち、こんな馬鹿げたことを書くのに
時間を費やすわけにはいかない。
もちろん、これを読んで下さっている数多の人々に、
無駄な時間を割かせるわけにはいかない。
人々は、少なからずこの「現実?」という日記に
期待しているのだ。
最近特にそれを感じる。
以前、軽い気持ちで書き始めた頃の日記とは、
あきらかに「ウケ」を狙っているように考察される。
それは明白な事実だ。
パンチョがづらなぐらい事実だ。
何、づらなのか。それは真(まこと)なのか。
この前のクイズはなかったことにしてくれ。
というか、正解者にはメールを送ってある。
これ以上、言及しないでもらいたい。
今日の日記をいち早く、みなにお届けすることが最優先事項である。
だめだ。文章を書いてるうちに脈拍が乱れてきた。
異常なまでの興奮、感動、そして、虚無。
そう。いつもそうなのだ。
文章を書くとき、いつも「産みの苦しみ」を味わう。
自らの脳髄に刻まれた記憶を、少しずつ紐解くのだ。
頭に浮かんできたさまざまな出来事を、
少しづつかき集め、ひとつの形にする。
その作業、その作業こそが、今日の「夢之歳月」の一部を
形成してきたのだ。
忘れるな。
忘れる青年達よ。
忘れるな今月のガス代。ガス代こそが、火を起こし、チャーハンを作成する。
チャーハンには卵を入れろ。たくさん入れるがいい。
誰にも遠慮はいらない。思う存分入れるがいいさ。
この、ちっぽけなネットの片隅に産声をあげた
忘れるな。それだけは忘れるな。
チャーハンではない。もはやチャーハンでは片付かない。
「夢之歳月」の理念を。
忘れてはならぬのだ。
鳴かぬなら、中野坂上、坂の上。
もはや、僕の思考は混乱をきたすばかりである。
今の勢いでは、コロニー落としもやりかねない勢いだ。
僕の心の鏡には、数万のコロニー市民が悲鳴をあげている。
まさに阿鼻叫喚。
アムロは本当に死んだのか、否か、稲か、稲はばあさんか。
駄目だ、何を書いても今夜は正常に脳が働かない。
いや、この手が、この手こそが、今夜の日記の破綻の原因なのだ。
誰か、誰か止めてくれ。
これは禁断症状。
これは記憶喪失。
今日の日記はどうしたのだ。
水戸泉に電車で遭遇した話はどうした。
汗かきタオルを所持していたことを、宣言しなくていいのか。
しかも、いやらしいまでに自分の名前を書いた浴衣を着ていたことに、
なんの意見もないのか。
あれは何なのだ。
あれは仕方がないのか。
服がないからか。
名前入りは、自らの存在を誇示しようとしているのか。
座ったら座席2人分か。隣の人は汗臭いのか。
そのへんは、なんら追及することはない。
もはや過去のこと。
今日の驚きは、明日への発見。
明日はお相撲さんに会うのだろうか。いや、会うまい(反語)。
そんなことじゃない。そんなことじゃないのだ。
これは若さ?若さなのか?若すぎるがゆえの過ちなのか。
携帯が格安で売られていた話はどうした。
新小岩の商店街入ってちょっと歩いたところの右手側に
その格安の店が存在するのだ。
なぜ、なぜ昨日発見しなかったのだ。
なぜ、あんなに安いのだ。
不幸中の幸いか、「P501i」は不評らしい。
驚くほどに値段が安くなっている。
もはや時代は「N501i」なのだ。
折りたたみ式が流行なのだ。
みな、買うが良い。買って明日からi-modeにするがよい。
NTTに踊らされるが良い。ここにいる。
哀れなピエロに成り下がった、一人のバカな若者が。
その若者は、今ここで何を書き残そうとしているのだ。
明日死んだらどうなる?
これが遺書か。
これが最後の文章なのか。
明日のワイドショーにでるのか、この文章が。
「携帯は新小岩で」
こんな遺書、誰が喜ぶ。
いや、そもそも遺書を読んで喜ぶ人間などいない。
もし明日がなかったとしたら?
これは、自らの歴史を刻むという、崇高な作業なのだ。
そう思うと、途端に勇気がわいてきた。
セロリが食べれる気がしてきた。
明日食べるか?
いや、セロリはこのさいいい。
貧しくとも、心だけは気高く、誇らしく思える人生を送りたい。
最後になるが、「ごまだれだんご」はお勧めだ。
あんなにおいしいだんごは、もはや存在しない。
明日は撮影だ。
何日か日があいた。
大人数での撮影である。
途中、ヒマな時間を利用して、i-mode掲示板に書きこみをしようと考えている。
使い道を考えないと、どんなものでもクズだ。
使われてこそ、はじめてその真価を発揮する。
i-modeはまだまだだ。だが、これからなのだ。
新しい時代を感じさせるため、僕は頑張るしかないのだ。
明日はi-mode掲示板に夢中だ。
ちなみに、カウンターは4000まではまわらないようだ。
それ以上まわると、ファイルが破損する。
破損したら新しいのを作成しなければいけない。
ここ2週間のあいだに、すでに2つのカウンターが破損した。
まあいい。この熱狂ぶりも、後何ヶ月かすればおさまるだろう。
祭りは、終わった後が辛いのだ。
ネクローゼのテーマは、「祭りのあと」なのだ。
今、続々と「だんだん(仮題)」の日本語訳が送られてきている。
が、さすがにこの文章は予測できまい。補足できまい。
みなのメールが、日に日にシュールさを増していくことに、
深い快感を味わうと共に、現代国語のあり方を考えてしまう今日この頃。
これはみな、僕のせい?
僕のせいなのか?
セイラ・マスはアルテイシアなのか?
今週は、撮影以外にも重要な仕事が残されている。
それは、「スターオーシャン」をクリアすること、
そして、「Vガンダム」全13巻を不法にダビングすることだ。
全部見れるか?
また、寝ながらダビング作業をするか。
6月24日からは、「ガンダム」のTV版ビデオも出ることだし、
サンライズ万歳。デスサイズヘル最高。ヘビーアームズカスタムもっと最高。
ところで、ASAYANは、もはや「稲葉いじめ」以外の何ものでもないような気がするのは
気のせいだろうか?
まあ、第二弾シングルを出すにも、うりが必要である。
今回の「稲葉いじめ」をネタに、売ろうという魂胆がミエミエである。
今後、立て続けにシングルが3枚計4枚出るらしいが、
まさかメンバー一人一人をいじめて4枚売るのではなかろうな。
そんな番組、やっぱり見ちゃう。
人間性を問われるところだ。
人間の求めること、それは「自分でない誰かの人生」なのだ。
自分では味わうことができない人生に、人は興味をしめし、
そして、感動する。その姿に自分自身を投影し、酔い浸る。
RPGなど、典型的な「自己投影」だ。
が、僕は否定しない。
それでいいのだ。
それでいいのだ。
元祖天才バカボンのパパなのだ。
あれはバカボンが主人公のはずなのだ。
でも、そんなことはどうでもいいのだ。
しまった。明日は早いというのに、
かれこれ1時間は書いてしまった。
結局僕は何を書きたかったのだ。
そうだ。
チャーハンはラップして冷蔵庫へ
数少ない食料を、腐らせてしまったのだ。
(以上、「だんだん(仮題)」日本語訳終了)
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