2000年8月3日「稽古4日目

 

午後5時、いつものように稽古が始まる。

稽古前に事務所に顔を出すと、お客さんがキャラメルショップにいた。
そして、僕に差し入れをくれた。
こりゃびっくり。でも、差し入れをしてくれた方は
もっとびっくりしたことだろう。
だって、本人がいきなり来たから。
そんな、差し入れしていただいたものはこれ(クリック) 。
ありがとうございます。これから早速使わせていただきます。

さて、前回の日記で「あかんべー」をやって筋肉トレーニングをやる、
と書いたのだが、それは大きな間違いで、
正確には「あっちむいてほい」の間違いであった。
「あかんべー」でどうやったら勝敗をつけれるのだ、
と思った方も多かろう。しかし、そのような突っ込みのメールは
一通もなかった。

午後6時半、朗読が始まる。
今日は昨日やっていない3組が朗読をした。
昨日の演出家の話で

「誤読をすることが大切」

という話があった。
これは、読んで字のごとく「誤って読む」ということなのだが、
つまり、既存の概念にとらわれない、まったく予想もしない
読み方をすることが、役者にとって大切、ということだ。
特にこの朗読の稽古では重要なことなのである。

その昔、第三舞台のワークショップに参加していた時、
同じように朗読の稽古があった。
その時演出家に

「役者としての読み方をしなさい」

といわれた。
うまく読むことは誰でもできる。時に、役者を志す人間にとって、
文章を上手に読める事は当たり前なのだ。
大事なことは、その書かれた文字に対して、
どれだけの想像力を働かせるか、ということなのだ。

渡された台本をただそのままやったって、
それは誰にでもできること。
自分なりの解釈、読み方をすること、
つまり、自分という名のフィルターの性能を高めてこそ、
役者の味になるのだ。

うまくやることは、誰だってできるのだ。

今日はまた、全身を使う、ということも重要であった。
全身を使って表現することの、なんと難しい事か。
自分の体をしっかり管理できなければ、舞台上の立ち姿も
滑稽なものになってしまう。
よく、台詞を言う時に必ず同じ動きをする人がいるが、
それはきっと、本当の意味で台詞が体に浸透していないのだろう。
だから、口先だけで勝負してしまうのだ。

朗読、という単純な稽古にも、実は深く考えさせられるものがある。

午後7時、立ち稽古がはじまる。
昨日の続き、5番からだ。

ここで断っておく。僕の日記はすでにネタバレしている。
これは、昨日の日記に対してお客さんから苦情のメールをいただいた。

「細見さん、すでにネタバレしてますよ。しかも、何の断りもなく」

と。ここでお詫びする。もし、ネタバレを嫌うなら、
もうこれ以上僕の日記を読まないようお願いする。

さて、いよいよ僕の出番だ。
久しぶりの立ち稽古、今日の僕の課題は

「臆せずやりたいことをやってみる」

だ。キャラクター作りの苦手な僕にとって、
本当はいけないことなのかもしれないが、とにかく
思いつく全ての個所にギャグをいれてみた。
そして、様子を見ようと考えた。

しょっぱな、出から派手にギャグをかまし、
その後も台詞のほとんどをギャグで埋め尽くしてみる。
久しぶりの稽古ということもあり、いささか暴走してしまった。

見ている人はみんな爆笑してくれたのだが、
それは僕も役が面白かったのではなく、
僕、つまり細見大輔が何かをやるのが面白い、ということだったのだろう。
これを本番の舞台でやってしまうと、単なる色物だ。
それは自分でもわかっている。

いつもの僕の芝居作りは、まずギャグを考えて、
そのいくつものギャグを繋げるために役を組み立てていく。
そして、演出家からキャラクターを明確にしろ、と叱られて
改めて自分のキャラクターにあったギャグを考えつつ、
物語と自分のやりたいことをすり合わせていく。

今回の僕の役は、普通にやるとすごく地味だ。
いや、地味ではないのかもしれないが、なんだかそれがとても怖い。
だからこそ、まず崩せそうなところは徹底的に崩してみて
それから、矛盾点を解消していこうと考えている。
そして、他の役者とともに何かできないか、と考えようと思っている。

とにかく隙を見つけることだ。
それが今回の鍵である。
僕の役を、今までの2倍にも3倍にも面白くするには、
朗読の稽古で言われた「誤読」をすることが
実は重要なのかもしれない。
もちろん、物語はちゃんと成立させなければいけないが。

そういえば今日、今後の劇団の進むべき方向、という
重要な話があった。
よりリアルな路線を目指したい、ということだ。
より深いキャラクター作りをすることが大切、とのこと。
サービスすることも大事だが、それだけでは
どんな役をやっても等身大の役者そのままになってしまう。
そうではなく、物語の一人物として忠実に生きてこそ、
より深い面白さが出るのではないか、という話であった。

「つまり細見の演技の全否定になるんだけど」

と、さらっと言われてしまい面食らったが、
別にそういう意味ではない。サービスすることは大切だし、
それがうちの劇団の今までの「味」だったのだから。
でも、それだけじゃだめだ、ということなのだ。
この先、さらに上に行くための話なのだ。

僕にはまだまだ難しい話である。
お客さんに興味を持ってもらえる役者、
これがキャラメルの細見、というものを勝ち取るまでは
まだまだ努力しなければいけない。

明日は8番から。今夜はもう一度、役について考えてみようと思う。


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