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あの日のことはいまだに鮮明に憶えている。
春が終わり、もうすぐ夏がやってくる、そんな季節の頃だった。
もう2年も前になる。祖母が亡くなった時の話だ。
その頃僕は、ちょうど仕事で大阪にいた。
大阪で生まれ、育ち、過ごした祖母のお葬式は
大阪で行われた。
僕が小さい頃は、毎年正月に親族全員で集まっていたものだが、
僕の家族が転勤で東京に行く事になり、
いつしかその集まりは行われなくなった。
毎年1度の賑やかな集まりがなくなってしまったことを
祖父や祖母はどのような思いでいたのだろう。
そういう僕もまた、会うのが億劫になってしまい、
祖父達と会うのが、何年に1回かのペースになっていた。
久しぶりの再会が、祖母のお葬式だったとは、
なんとも皮肉な話である。
お通夜はしめやかに始まった。
祖父は、気丈にふるまっていた。
僕は祖父にかわいがられた。
小さい頃はよく祖父の家に泊まりに行ったりもした。
祖父は様々な趣味をもっており、
僕はよく、昔の演芸の本を見せられては
「これを読みなさい」
と、無理矢理本を読まされたものだ。
実際には、借りただけで読んではいないのだが。
僕は、勉強家で多趣味な祖父を尊敬していた。
しかし、時がたつにつれ、大学を中退し、
いまだ親のスネをかじって生活している自分に
ヒケメを感じる気持ちもあった。
従兄弟達が、順調に社会人として巣立っていく中、
自分だけが先もわからぬことをしている。
自分の人生に後悔はないのだが、
祖父の期待を感じていただけに
申し訳無いという気持ちもあった。
そんな祖父が、今何十年も人生を共にした祖母に
別れを告げている。
僕は何を話して良いのかもわからなかった。
もともと社交的で、話好きな祖父だったのだが、
祖母の体調が悪化するとともに、
気難しくなってしまい、 なんだか近寄りがたくなっていたのも事実だ。
僕はただ、黙って祖父の背中を眺めていた。
親族がみなそれぞれに多忙であったため、
初七日もその日のうちに行われた。
何事もなく、祖母が亡くなったという実感もないまま
時は過ぎていった。
その時である。
祖母の遺影を前に祖父がいきなり叫びだした。
「綺麗だったよ、本当に綺麗だったよ!」
それが、祖父の祖母との最後の別れの言葉だった。
それまで気丈に振舞っていた祖父は
あらん限りの声で、祖母の遺影に向かって叫んだ。
僕はとても驚いた。
祖父のそんな姿を見たことがなかったからだ。
生身の感情を剥き出しにした祖父の
そんな姿を見たのが初めてだったのだ。
何十年も連れ添った最愛の人を亡くして
気丈でいられるはずがない。
祖父のそんな一面を見て、
僕は不謹慎ながらも、少し嬉しくなった。
祖父もまた、僕と同じだったのだ。
それから半年もたたないうちに、祖父もまた他界した。
亡くなる前の祖父に一度会ったのだが、
その時はもう、意識もはっきりしておらず、
僕が誰だかすらわからないようだった。
あの日のことはいまだに鮮明に憶えている。
春が終わり、もうすぐ夏がやってくる、そんな季節の頃だった。
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