2002年1月5日「wisdom tooth」

 

年初めに恒例となりつつある行事がある。
それは、歯医者だ。

僕は最近、歯医者が嫌いだ。

だって、怖い。

そもそも歯は丈夫だった。
虫歯にならないことが自慢だった。
それが近年、虫歯が増えてきた。
歯は磨いている。
もちろん、朝晩。
が、甘いものが好きだ。
だから毎晩食べている。
そもそも甘いものが好きだったんじゃなくて、
公演での疲れを補給するために、
毎日1個は甘いものを食べるという習慣をつけた。
それが仇になった。
気がつけば、公演がなくても食べるようになっていた。

そして僕は虫歯になった。
姉さん、事件です。

年末あたりから歯がうずきだして、
でも富良野旅行があるからなかなか行けなくて(いいわけ)
旅中にものすごく痛くなって、
それでも我慢して食べまくって、
とうとう旅から帰った次の日の今日、
歯医者に行く決意をした。

実に1年ぶりだった。

実は1年前、親知らずを抜いた。
そのあまりの痛さに、僕は治療途中に逃げ出した。
正確には、歯医者に行かなくなった。
だって、麻酔があまりきいてなくて
親知らずを抜く時ものすごく痛かったんだもん。
ゴキゴキって音が、しばらく耳を離れなかったんだもん。

そして1年が過ぎたのだ。

「細見さん、久しぶりですね。1年ぶりですか」

歯医者さんはそう言った。
僕は必至に言い訳を考えた。

「ええ、しばらく東京を離れてまして。やっと帰ってきたんです」

「お仕事ですか」

「ええ、のっぴきならなくて」

「は?」

「ええ。そういうことで」

「なるほど、よござんす。では、治療を始めましょう。いやさ、正確には1年前のあの時に戻りましょう」

「そうですね。僕の時間は、あの時から止まったままですから」

「冗談はさておき、座ってください」

僕はなすがままだった。

「で、どうしました?」

「歯が痛いんです」

「それは承知してます。だってあなたは、歯医者に来たのだから」

「それもそうですね。実は、ご飯を食べると歯がしみるのです」

「そりゃあそうでしょう。だってあなたは1年前、治療途中に
私のもとを去ったのですから」

「反省しています」

「人生そんなものです。反省と後悔を繰り返す。おや、それでは後ろ向きばかりですね。ヌカヨロコビと後悔ですね」

「そうです。ミサトさんがシンジにそう言ってました」

「ミサトさんには悪いことをしました」

「意味がわかりませんが」

「意味なんてありませんよあなた。人生に意味を求めること、それこそが無意味な行為なのです」

「哲学ですね。そんなことより歯を治療してください」

「わかりました。私には心の病は治せませんが、歯の病は治せます」

「わかってます。そんなことは聞いてません」

「もう少し話しませんか」

「歯を治療しましょう」

治療が始まった。
僕の歯を見るや否や

「親知らずを抜きましょう。これが全ての原因です。
守ってあげたい、あなたを苦しめる全てのことから」

「ユーミンですね」

「ねえムーミン」

「いいから」

「すみません。あ、すごいですね。歯の間が全部虫歯だ。
神経もとりましょう」

「そんな無神経な」

「うまいですね。そうです、まさに無神経になるわけです」

「座布団はあげませんよ」

「では麻酔します。安心してください。あなたが麻酔状態にあっても、私は何もしませんから」

「どんな歯医者ですか。そんな心配はしてませんよ。
ていうか全身麻酔かよ」

「いえ、局部麻酔です。ほら」

麻酔注射は痛かった。
麻酔注射の麻酔はないものか。

美しい女性が僕の唾液を吸い始めた。
そう書くと語弊があるが、
正確には器具で僕の唾液を吸い始めた。
そう書くともっと語弊がある。

「麻酔が効く間、虫歯の治療をしましょう。
今日時間は大丈夫ですか?」

「今日の僕は、あなたのものです」

「そう言っていつもくどくのですね」

「それでおちた女はいませんが」

「苦労してるのですね」

「ええ、噂ばかりが一人歩きして・・・そんなことより治療を」

「おや、気づきませんでしたか。もう治療は始まっているのです。
あなたの歯という歯を削っているのです。」

「それは気づきませんで。失礼」

「すごい虫歯ですね。どんどん削ってしまおう。
ああ、なんて楽しいんだ。ついでにここも」

「やめてください」

「冗談です。あ、」

「なんですか」

「いえ、なんでもありません。身を削ることはあっても
歯を削りすぎることはありません。だって私は歯医者だから」

「すごく不安になってきました」

「誰だって不安になることぐらいあります。
何を隠そう、私も今不安です」

「やめてください、もう」

「恋したっていいじゃない」

「意味わかりません」

「さて、虫歯の治療は終わりました。
いよいよ抜きにかかりましょう」

「親も知らないこの歯を、ですね」

「そうです。なんなら今連絡しますか?」

「それじゃあこの『親知らず』は、『親知る』になってしまいますよ」

「それは大変だ。じゃあ、親に知られないうちに
さっさと抜いてしまいましょう」

僕は不安だった。
前回の抜歯では、麻酔のききが甘かったからだ。
またあの思いをするのかと思うと
泣きそうだった。

「や〜こりゃひどい。歯が横に生えてるよ」

「親にも知られなかったので、ゆがんでしまったんですね」

「そうです。でも安心してください。人間誰しもゆがみはあります。
ただ、気づかないだけなんです。
まっすぐな人間なんてそうはいません。
どんなに誠実な人間だって、ふとした瞬間ゆがんでしまうのです。
私はそういう人間を何人も見てきました」

「そうですか。色々苦労したんですね」

「いえ、今のは例え話です」

「何を例えたんですか」

「抜きました」

「え?」

「見ますか。これです」

僕は抜き取られた『親知らず』を見た。
見て初めて思った。
これは『親知らず』なんかじゃない。
親どころか、僕ですら知らなかった。
初めて見た。感動した。

「立派な親知らずだ」

「ええ、立派ですね」

「どうです。親が知らなくとも、立派に育つものなのですよ」

「そうですね。それがどんな形であれ」

「必要がないから抜かれる。なんだか悲しいとは思いませんか」

「僕は必要なものなんでしょうか」

「それは私にはわかりません。
でも、あなたを必要としてくれる人はきっといるはずです。
ああ、日本のどこかに、私を待ってる人がいる」

「本当にそうなんでしょうか」

「必要とされるかどうかは、あなたにかかっているんですよ。
誰かに必要とされたいのなら、あなたはもっと努力すべきです。
泣き言を言う前にね」

「ありがとう。なんだか、心が軽くなりました」

「私には心の治療はできませんよ」

「いえ、なんだか明日からも頑張っていけそうです」


抜かれた僕の『親知らず』は、
今ごろどうしているのだろう。




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